しばらく眺めている。微動だにしない。
どのくらい、眠ってしまったのだろう、エサを付け替えるか,
と起き上がる。
あれっ、眠っている間に船が流されたのか、
この壁は雄踏大橋のピーヤだぞ。
一歩踏み出す。ギヤーッ! 凄まじい悲鳴で我れにかえった。
隣の布団のカミさんを踏んづけたのだ。
橋脚だと思ったのは部屋の壁。なんのことはない、大寝惚け。
深夜のボートの中でウトウトとする。
目覚めると最初にするのが、鎌首もたげて竿先の確認。
思わず反応したのもキビレハンターの証し、というもの。
ますますエスカレートしていく磯釣りと平行して、
のめり込んでいったのが、浜名湖のキビレ釣りだった。
という刷り込みがあった。
すぐに船酔いして船底に転がる。
早く帰りたいなァ....... と見上げる空に白い雲が浮かんでいた。
これが私の釣りの原体験。
幼時に刷り込まれた呪縛から逃れられないからだろう。
明治生まれの頑固親父は突き放すように同船を拒み、
釣りをしたければ自分で漕げ、といい放った。
掌のマメが潰れて血塗れになっても、自分で脱出するしかなかった。
6人の子供たちに最後まで、この教育方針を貫いた人だった。
子供たちは自分で物事を判断して大人になり、自分の道を切り拓いていった。
1.5馬力、予備ガソリンが一升瓶に入っていた。これは快適だった。
もう、血マメを作らなくてもいい。
14フィートと船体は小さいがエンジンは15馬力。
素早く移動し、どんなタイトなポイントにも潜り込む。
その頃の私のキビレ釣りのポリシーが込められていた。
その夜は、宵のうちに白洲のカキ棚に船を掛けた。
日が落ちても蒸し暑い熱帯夜で、周りにほかの船もいない。
アタリのないまま夜が更けていく。
それにしても静かだ。
時折、湖岸を走るバイクのカン高いエンジン音が聞こえるだけ。
実は、この白洲から古人見にかけては、知る人ぞ知るミステリーゾーン。
後年、この東側で幽霊騒ぎがあったし、
白洲でも洗面器ほどの大きさのUFOが宙に浮いていたという。
そんな薄気味の悪い夜だったが、腰を幾度か浮かせながらも粘ってしまった。
深夜1時をまわって睡魔が襲う。竿先ライトが滲んで、あとは無。
ない。1本を残して竿がない。まだ夜明けには間がある。
錨綱を緩めて周囲を見渡す。
と、カキ棚杭の横の海中に赤く滲む光りを見つけた。
糸が張った。手応えがある。
あらぬ方角でガバッ。道糸が杭に触れて一瞬で切れた。
こいつには42cmのキビレが付いていた。
あと1本はどう探しても見つからなかった。
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