「どこへ行くんだ」と私。
神津島のエボシでヒラマサを狙うという。
で、Pennの6/0持っていった彼が意気揚々と帰ってきた。
なんと、6kgのヒラマサぶら下げてだ。
2日の休暇をとって神津島へ汽船で渡った。
狙いはもちろんヒラマサ。同行6人。
その彼は数ヶ月前、シマアジ怖い、という新たな伝説を作りあげていた。
神津島にタックル一揃い置いてある彼は、
ナップザック一つ背負い、汽船でぶらりと島に現れる。
3匹までは楽しかったが、それ以降はシマアジが怖かったという。
仕掛けを投げ入れれば食う。食えばやり取りする。
竿畳めば....... といったって、そこは悲しい釣り人の性、やめられるわけがない。
で、結局、7匹釣って迎えの船頭に「シマアジ怖い!」といったそうな。
東の強風で、ここしかなかった。
沖から上がった波が島のヘチをぐるりとまわり
本場のオネモへ滝のようになだれ落ちる。
悠長に泳がせなんかしている状況ではない。
大サラシが沖に向かって延び、強風で波頭が飛ぶ。
これを三枚に下ろしてビラビラにする。
ウキは不要だった。
20号のオモリが、とてつもなく大きなサラシと、
速い潮流の境から沈んでいかない。
ゴン、ゴンとアタリ。ちょっと送り込んでおいて合わせ。
ツムブリとヒラマサの3kg級が入れ食いになった。
竿は久々のNF16、物干し竿のような剛竿である。
カツオの一本釣りよろしく、ひっこ抜いては脇に挟み込む。
自然の舞台演出は最高。魚は手頃。仕掛けを投げ入れれば釣れる。
まさに興奮の坩堝であった。
残念ながら11時で早上がりだったが、一人20本ちかい釣果をモノにしていた。
入れ食いをやって3時に宿へ帰る。
風呂に入り、島の焼酎くらって明るいうちから寝てしまう。
が、海況は荒れたまま。3日目も汽船がこない。帰れないのだ。
帰れないものはジタバタしても仕方がない。
私は会社に一報して、腹をくくっている。
棟上げなのに帰れないのだ。
が、島にいてすることは一つしかない。4時起床、5時就寝が5日間続いた。
財布がカラになったという。ヨッシャと島の知人の所へ。
冷凍庫の中の魚を引き取ってもらって資金を作った。
が、タダナエヘは行く。竿下の泳がせをしていないからだ。
一番の長老に本場を譲り、私たちは高場で竿を出す。
大きく竿先がブレて一気に海中へ突き刺さった。さすがは伊豆の磯釣りを拓いた御仁。
6kgほどのヒラマサをなんなく浮かせた。若手がサポートに入る。
いま、まさに魚をハネ上げるという瞬間だった。大きなヨタ波が襲う。
長老の声に若手が這い上がる。
大きなサラシが引いた後、長老の竿にダラーンと垂れ下がる糸。
こうして7日間の釣行は幕を閉じた。
小笠原でヒラマサ釣ったから食いにこい…と。
23kg、立派なヒラマサだった。
そうか、pレたちのまえでのタダナエのバラシが気掛かりだったのか。
その執念に頭を下げた。
ともに癌で旅発たれた。
長老こと、当時の全磯連静岡県支部長、松木渡師。
私の文筆の師であり、釣道の薫陶を受けた師であった。
日本の磯釣りを切り拓いた人でもある。
質実剛健…あの気風は忘れ難い。
Mさんこと、森下三樹先輩。
あのお二人、あっちへ行っても並んで釣りをしてるんだろうか。
早くこーい、なんていわないでください。
もう少しこっちで釣りがしたい。
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