■シマアジ怖い
「兄さん、両軸リール貸してよ」と義弟。
「どこへ行くんだ」と私。
普段は磯の隅でカニブダイしかやらない男が、
神津島のエボシでヒラマサを狙うという。
で、Pennの6/0持っていった彼が意気揚々と帰ってきた。
なんと、6kgのヒラマサぶら下げてだ。
黙って指くわえているわけにはいかない。
2日の休暇をとって神津島へ汽船で渡った。
狙いはもちろんヒラマサ。同行6人。
そのうち1人は私のイシダイ竿に封印したカリスマ上物師のMさん。
その彼は数ヶ月前、シマアジ怖い、という新たな伝説を作りあげていた。
神津島にタックル一揃い置いてある彼は、
ナップザック一つ背負い、汽船でぶらりと島に現れる。
で、午後から白根でシマアジを狙った。6kg級が入れ食い。
3匹までは楽しかったが、それ以降はシマアジが怖かったという。
仕掛けを投げ入れれば食う。食えばやり取りする。
ヘトヘトで吐きそうになりながら、白根の割れ目に引きずり上げる。
竿畳めば....... といったって、そこは悲しい釣り人の性、やめられるわけがない。
で、結局、7匹釣って迎えの船頭に「シマアジ怖い!」といったそうな。
■興奮の坩堝
初日の渡礁はタダナエ本場。
東の強風で、ここしかなかった。
沖から上がった波が島のヘチをぐるりとまわり
本場のオネモへ滝のようになだれ落ちる。
波の飛沫が飛んでくる中で仁王立ち。
悠長に泳がせなんかしている状況ではない。
大サラシが沖に向かって延び、強風で波頭が飛ぶ。
幸い、エサのムロアジは入れ食い。
これを三枚に下ろしてビラビラにする。
ウキは不要だった。
20号のオモリが、とてつもなく大きなサラシと、
速い潮流の境から沈んでいかない。
投げ入れると10mほど沈み、糸が立ったまま横へ払う。
ゴン、ゴンとアタリ。ちょっと送り込んでおいて合わせ。
ツムブリとヒラマサの3kg級が入れ食いになった。

竿は久々のNF16、物干し竿のような剛竿である。
カツオの一本釣りよろしく、ひっこ抜いては脇に挟み込む。
自然の舞台演出は最高。魚は手頃。仕掛けを投げ入れれば釣れる。
まさに興奮の坩堝であった。
残念ながら11時で早上がりだったが、一人20本ちかい釣果をモノにしていた。
■帰れない
これが3日間続いた。朝4時に起きて磯に向かう。
入れ食いをやって3時に宿へ帰る。
風呂に入り、島の焼酎くらって明るいうちから寝てしまう。
強烈なMさんの歯軋りも、快い子守歌となった。
が、海況は荒れたまま。3日目も汽船がこない。帰れないのだ。
帰れないものはジタバタしても仕方がない。
私は会社に一報して、腹をくくっている。
仲間の大工の棟梁は半日毎に電話で指示を送っていた。
棟上げなのに帰れないのだ。
が、島にいてすることは一つしかない。4時起床、5時就寝が5日間続いた。
6日目の焼酎くらっている時、若手の仲間が手招きして、私を廊下に呼ぶ。
財布がカラになったという。ヨッシャと島の知人の所へ。
冷凍庫の中の魚を引き取ってもらって資金を作った。
■執念のヒラマサ
7日目。波が落ちた。汽船が下田からこれるかもしれない。
が、タダナエヘは行く。竿下の泳がせをしていないからだ。
一番の長老に本場を譲り、私たちは高場で竿を出す。
1時間ほど経過。長老の竿先が騒がしく動く。エサのムロが逃げている。
大きく竿先がブレて一気に海中へ突き刺さった。さすがは伊豆の磯釣りを拓いた御仁。
6kgほどのヒラマサをなんなく浮かせた。若手がサポートに入る。
いま、まさに魚をハネ上げるという瞬間だった。大きなヨタ波が襲う。
「魚はいいっ、逃げろ!」
長老の声に若手が這い上がる。
大きなサラシが引いた後、長老の竿にダラーンと垂れ下がる糸。
こうして7日間の釣行は幕を閉じた。
その翌年、長老から招待が掛かった。
小笠原でヒラマサ釣ったから食いにこい…と。
23kg、立派なヒラマサだった。
酔うほどに「これでお返ししましたよ」と言葉を重ねる。
そうか、pレたちのまえでのタダナエのバラシが気掛かりだったのか。
その執念に頭を下げた。
■そして.....
カリスマ上物師のMさんも、長老も、いまは冥界。
ともに癌で旅発たれた。
わが釣り人世に強烈な印象を残した二人の先輩であった。
長老こと、当時の全磯連静岡県支部長、松木渡師。
私の文筆の師であり、釣道の薫陶を受けた師であった。
日本の磯釣りを切り拓いた人でもある。
質実剛健…あの気風は忘れ難い。

Mさんこと、森下三樹先輩。
あのお二人、あっちへ行っても並んで釣りをしてるんだろうか。
早くこーい、なんていわないでください。
もう少しこっちで釣りがしたい。