彼が倒れたとの知らせを受けたとき、
昏睡状態にある病室にとうとう行けなかった。
人の謗りを受けようとも、私は自分の気持ちを貫いた。
たった2日で彼は旅発った。
そのざわめきが消えたとき、
暗闇の中に佇んでいた私は初めて彼の前に座った。
意外なことに、頭の中には何も浮かんでこなかった。
そのかわり、胸の奥の方から熱いものが込み上げ、
やがて、それは嗚咽となって口から迸りでた。
2人で限りなく見てきた波のように果てしなく続いた。
48歳、早すぎる別れであった。
参加する彼を東京駅まで迎えに行く。
仕事で、釣りで、全国を股にかける彼が意外なことをいったのだ。
受話器の向こうで、声を落としていった。
よし、分かった、迎えに行くよ。
確かに八重洲口にはそぐわない格好ではあったが、
彼が行き交う人の視線を浴びていたのは、ほかにも理由がある。
勝負を賭けた彼は、浜名湖のサイマキを新幹線で運んでいたのだ。
私の顔を見てニッと笑った顔がいまも浮かぶ。
彼はサイマキの前打ちで先端に向かって進んでいく。
反対側で早くも釣果が出た。私は仕事、カメラを小脇に堤防を飛ぶ。
その先に竿を満月に絞った彼の姿。私も走る。
と、半分も行かないうち、彼の竿の緊張が解かれた。
彼のそばに寄る。
「らしくもない、どうしたの」
「ン…」
前夜のほかの選手の話に惑わされたのだ。
サイマキで豪快にとの作戦が貫けなかった。
まだ時間はある。いつも通り2号でいけ。
が、サイマキにはそれきりアタリがなかった。
南伊豆は伊浜港から出船して、舳先を南に取る。
やがて大きな島が見えてくる。宇留井島だ。
その沖向きにチョボッとあるイソをハサミ磯という。
大晦日の釣行だった。水温20℃、この時期にしては、なんという高水温。
磯決めのジャンケン。負けた。
彼に優先権がある。左向きのサラシを取られた。
彼の前のサラシの先に本流の潮目、その境に木っ端メジナのナブラ。
最近には珍しく、海面で飛び撥ねていた。
私ではない。彼の方にだ。
1時間が経過。私は真ん丸オデコ。こっちへこいよ、という。
その代わりに潜りウキに換えて、彼が横向いた隙にサラシの前に投げ入れ、
どんどんと糸を送る。本流の壁に沿って右、すなわち私の前にくる。
さらに右の岩陰で取り込む。40cmにほんの少し足りないサイズ。
メジナもこのサイズになるとよく引く。
ハリを外す間に私が仕掛けを入れる。
5匹ほど、その戦法で釣ったら気が付いた。ふっふっふ。
ここに乗れなきゃ、外浦にくることはない、という好ポイントだ。
その本場に彼と並んで竿を出す。
本場の竿下はトロリとも潮が動かず、木っ端ひとつもエサを追わない。
潮目は島の右端をかすめ、30mほど沖を湾曲して流れ、
再び左端のハナレをかすめる。彼がこの潮目を攻め始めた。
この壁のオーバーハングの下に居着きの怪物がいる。
エサ盗りもなしで2時間。
突然、その時がやってきた。スーと静かにウキが沈む。
尊大に、かつ冷静にエサを食う。
合わせた。予想を超えた引きだった。
曲がった竿先が水面に突き刺さる。耐える。隙があれば巻く。
「ウキが出た。もう一息っ」と彼の檄が飛んだ。
オーバーハングから魚体が出た。真っ黒な居着きのモンスター。
パチッ。水面から飛び出た仕掛けが竿に絡みつく。
ハリが延びていた。その瞬間、私の後頭部に彼の平手がピシャリ。
その後で彼の攻めが完成。本流にウキを沈めて送り込んで行く。
最後は隣のポイントの足元を釣る。隣の釣り人は本流の沖を攻めていた。
ノサれる。魚がハナレの足元を向こうにまわった。所詮ムリだ。
道糸が岩に擦れる音を聞いた。
パチッ。
今度は私のいう番。
「オジさんっのバカッ」
時の流れは、胸にぽっかり開いた穴を次第に狭くしていく。
が、君との思い出を私は書き続けていこう。
君がいつまでも私の心に住んでくれるように。
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