■フォッサマグナ
テンカラの師匠たちに誘われて、久々に遠山郷を訪れた。
天竜川を溯って水窪の街中からヒョー越を目指す。
記憶にある風景を車窓に追っていると、
急坂の果てに、突然という格好で草木トンネルが現れた。
お師匠さんの説明によると、三信道路が通るのだそうだ。
三河の豊橋港、南信濃の精密機器、遠州の工業力を結ぶ幹線道路になるという。
もともと、この地域は《塩の道》で結ばれていた。
信州からみれば秋葉街道、遠州からは信州街道。
昔は荷担ぎ人や駄馬が盛んに往き来したのだ。
ただし、近年まで青崩峠を越えるR152は幻の国道。
地図を広げてみても、ここは途切れている。
青崩峠はフォッサマグナの露出部分にあって崩壊著しく、
道路として維持していくことができなかったからだ。
フォッサマグナとは、広辞苑をひもといてみると。
『大きな裂け目の意。中部地方で本州を横断する新第三系の地帯。
わが国の地質構造上、東北日本と西南日本を分ける重要な地帯。
富士火山帯はここを通っている。
ナウマンの命名。糸魚川はこの地帯の西縁を限る断層』
とある。
要するに長細い日本列島の裂け目なのだ。
新設の三信道路はここを避けて草木トンネルを造り、ヒョー越へ抜ける。
●ヒョー越峠
ヒョーとは峠の意味だと柳田国男の書にある。
私が遠山川のアマゴに魅せられて通っていた頃、
これを信州に下るスーパー林道ができた。
最近はヒョー越の県境で国盗り綱引きイベントが行われる。
静岡県側が何回か負け、県境が南に移動しているはず。
スーパー林道を下ると右手から八重河内川が流れ込み、
青崩峠源頭からの小嵐川が併合する。
ヤマメの里などという施設もできて訪れる人も多いが、
ハードな下りにはくれぐれもご用心。この八重河内、私の好きな渓であった。
残念なことに昭和40年代後半、大規模な土石流で昔日の面影を失った。
堰堤上にあった東屋の屋根だけが、
土砂の中からわずかに存在を示していた光景が、忘れられない。
どこまでも広河原が続くのが小嵐川。
倒木のほんのちょっとした深みから尺アマゴが出た。
周辺の川のように渓流の相をなしていないのは、青崩源頭に端を発するからだ。
常に崩壊する土石が広い河原を造る。これは中央構造線上にあるがため。
しかるに、最近は多くの渓谷が小嵐川に似た荒廃を辿る。
ここでは多くを語るまい.............
やがて八重河内川は尾之島で遠山川に併合する。塩街道の宿場であったのが和田。
ふた昔経っても町並みは変わっていず、
立ち寄った店の『焼き豚入りそば』は意外に旨かった。
●囲炉裏端
南アルプス前衛の聖岳は3013m。3000m級としては最南端に位置する。
その西側の枝沢の水を集め、延々と下って時岡ダムで天竜川に合流するのが遠山川。
本谷の川幅いっぱいに恐怖を覚えるほどの流れが迸り、
一日詰めてもやっと加々良沢あたりだった。
私が初めてこの渓を訪ねたのは、川沿いに軌道跡が走っていた頃。
本谷に取水堰ができ、北又沢にも幾重ものダムができた。
久々の出遭いは降雨跡とあって、往時を偲ばせる水量だったが、
渓に降りてみれば、あの淵にも、この瀬にも昔日の面影はなかった。
それでも夕闇迫る頃、お師匠さんたちの叩いた毛鉤を、
幾匹かのアマゴとイワナがくわえてくれた。
囲炉裏端で、串焼きの渓の精たちと手打ちの蕎麦。
三本のビール、お師匠さんたちの尽きない話、
遠山郷の夜は静かに更けていく。

遠く渓を流れる水の音。
串に通した田楽芋、民宿のオバちゃんが囲炉裏で焼いてくれた。
刻まれた皺の深さ、この渓のすべてを見てきた顔だ。
多くを語らず、山盛りの飯を勧めてくれる。
信州は一揆の多かった土地だという。
伊那谷の人情に触れていると意外に思うが、実は芯が一本通っている。
信州の俳人、小林一茶の《やせ蛙負けるな一茶ここにあり》も反骨精神を込めた句だそうな。
●木曽路はすべて山の中
和歌山の生んだ生物学者、南方熊楠は神社の合祀に反対し続けた。
時の明治政府は中央集権化のために市町村合併の方針をとり、
一村一社として神社を統廃合し、鎮守の森を潰していった。
熊楠の反対の本旨は、その森に多くみられる植物群の破壊にあったが、
やがては紀州の森林濫伐指摘にも及んでいる。
『木曽路はすべて山の中である』に始まるのが島崎藤村の《夜明け前》。
民意に反して山を取り上げていった尾張藩の苛酷な森林対策、
それにも増して明治政府は官有林化を圧し進めた。
御一新になれば…との思いにも裏切られ、
狂死する実父の島崎正樹の生涯が、主人公の青山半蔵のモデルだという。
人は古来より山とともに生き、ともに暮らしてきた。
なのに現代人は生きることを急ぎ過ぎる。
自然界の悠長な流れをみようともしない。
この百年余のツケが確実に現代の日本を蝕んでいるのは間違いない。
 かにかくに渋民村は恋しかり
 おもひでの山
 おもひでの川
ふるさとの岩手山を恋い焦がれつつ、石川啄木は26歳の生涯を閉じている。
 ふるさとの山に向かひて
 言うことなし
 ふるさとの山はありがたきかな
遠山川の帰り道、土砂降りの東名高速を走りながら、
ふっと私の頭に浮かんだのが、この歌であった。
■付記
雑誌に掲載されたものを加筆。
杉花粉でのクシャミも、鉄砲水が多いのも、みな、明治維新にとられた施策の後遺症?
自然に手を加えることを急いではならない。そして誤りを糺すには謙虚でなければならない。