●なんという奇跡
本浦のイカダは、連日の好釣果に沸いていた。
本浦は三重県鳥羽市の菅島の南にあり、切り込んだ湾は生浦湾。
以前は麻生ノ浦大橋の下辺り、今浦カキの養殖筏の釣りが有名だった。
で、外側の本浦に筏を新設したから試し釣りをということ。
仕事柄の役得はこんなところにあって、かなりの期待を込めての釣行であった
「昨日は54cmがでました。頑張って」
と、釣り筏を開業した《やま栄渡船》の若船頭。
手広く牡蛎養殖を営んでいて、釣り筏は新規参入だから熱がこもっている。
で、試し釣りでは一番の実績を誇る白根崎の筏に乗る。
竿をセットし、竿受けに乗せ尻手を付けようとしたその時、竿尻に袖が当たった。
竿先からスー。
ああ~。
呆気なく愛用のイカダ竿が海中に吸い込まれ、やがて見えなくなってしまった。
さあ、大変。大チヌへの期待を込めて、前の日に手入れしたばかりなのだ。
予備竿は車のなか、携帯電話の普及していない時代で、連絡のしようもない。
無為な時間を過ごした。同行のH君が、貸そうかという。
が、この釣りばかりは自分の竿でないというこだわりがある。
で、ハリス糸の先にハリを3本付け、4Bのオモリを数珠つなぎにずらり。
これを投げては、もしや掛かるのではと30分。掛かるわけがないのだ。
諦めが失望にかわり、やがて筏にひっくりかえって目を閉じた。
眠気が襲うが、悔しさが脳の芯に残り、無の世界に入っていけない。
むっくり起きた。未練がましいが、あと7回やってみよう。
ハリ3本付いた糸をくるくるまわし、海底に着けては手繰る。
あと1回、これで駄目なら諦め...... と、重みが。
まさかと覗き込む海中から穂先が見えた。
なんと、1本のハリが小さなガイドに掛かって、愛用の竿が上がってきた。
なんという奇跡。
●チヌの見釣り
歓喜しているところへ若船頭が弁当を持ってくる。招待なのに豪華弁当。
「どうですか」の問いに、かくかくしかじか。
次の時合は夕まずめ、「よかったら、遊びに行きませんか」とお誘い。
で、船に乗り、牡蛎の筏の間を一走りして大村島のそばまで。
スロットルを絞った先の筏に竿を持った人が一人。
ごついノベ竿、牡蛎筏の上を身軽に歩き、海中を覗いている。
「今日はどうかねぇ」
と若船頭が問いかけ、やっと気づいて、上げた顔を見てびっくり。
小柄な年配の女性。チヌの見釣りの名手だそうな。
筏下の牡蛎に付いたチヌを見つけ、剥き身の牡蛎を落とし込んで釣るのだという。
差し出した竹篭のなかには3匹の年無し。今夜の民宿の食卓に出るらしい。
エンジンを止めた若船頭。器用に牡蛎筏に沿って船を進める。
で、手招きした。
覗いて見れば、透明度の高い海中に牡蛎の殻をつつく3匹のチヌ。
40cm以上は悠にある。
「まず、私がやってみます」と、剥き身の牡蛎をハリに着け、
その重みだけでチヌの鼻先に落とし込む。
フッとチヌが首を振った。
鷹揚に剥き身に近づき、口を開けた瞬間、若船頭が合わせた。
ごついグラスロッドの竿先が水中に突っ込み、
海中で翻るチヌが見えた。合わせたところで、糸を持って手練の手繰り。
やったり、とったりが数合。
最後は半ば強引に45cmのチヌが船のなかへ。
●年無し3連発
やってみますか...... の言葉を断って、再び筏に戻った。
いいものを見せていただいた。それでいいのである。
で、海底から蘇った竿にエサを付け、遅ればせながらの第1投。
思ったより潮が速い。底に着いたダンゴがそのまま転がっていく。
それから2時間の打ち返し。少し、潮が緩んできた。
着底したばかりのダンゴをつつく感触。ボラはいない。
してみるとチヌ。緊張する間もなく、ゴンッときた。
次の瞬間は竿の半分が水のなか。黒い。デカイ。引きが強い。
耐えに耐え、取り込んだのが48cm。
体長のわりには元気のいいチヌだった。
続いてH君が45cm。時合の到来だ。
スレを知らぬチヌが、引ったくるようにエサを食う。
で、欲が出た。どうせ釣るなら50cmオーバー、
昨日の54cmを超えねば、との欲である。
エサはアケミの丸貝、ダンゴの外に出して海中へ。ゴンッ。
ダンゴが割れる前に出たアタリ。
ゴリ、ゴリ、ゴリッ。アケミ貝を噛み砕く。
ゴリ、ゴリ、ゴリッのタイミングを捉えて合わせ。
コイツもよく引いたが、上げてみれば45cm。
60cmもいるとの若船頭の言葉からすれば、はるかに役不足。
ややあって、またゴリ、ゴリ、ゴリッ。今度は間合いが短かった。
いきなりひったくられて、最初から竿の半分は水のなか。
糸をださなければノサレる。
寄せては引き出され、寄せては引き出され、
果てしなく続くかのような物凄いパワー。
いつの間にか、H君が横に立っていて
「コイツは尋常なカタではないですよ」。自分でもそう思った。
ひょっとすると60cm?
何分のやり取りだったか。二の腕がパンパンに張ってきた。
感覚がない。魚はだいぶ寄ってきた。
が、問題がある。
筏固定のロープから離れないのだ。このままでは、やられる。
引き離せ、とアドレナリンに満たされた体が囁く。
多少、強引だったが、ロープから離すことは成功。
が、次の引き戻しは強烈だった。プンッ。
音がしてハリスが切れ、私の60cmの夢ははかなく消えた。
■付記
平成5年の釣行記。これ以降、本浦にはけっこうお世話になった。
49.5cmが2枚。どうしても、50cmオーバーが釣れない。
ただ、ここと隣の石鏡のクロダイは磯臭くて食えない。
私にとって記録狙いの場所だ。