●精魂尽き果てた

長良川は白鳥地区。J杯鮎は2日目の決勝戦を迎えていた。

私のマークは準決勝から注目していた中国代表のO選手、ダークホースであった。

さらに決勝戦ではクジ運もよく、上流の境界にポジションをとった。
彼より上に入る竿はない。

もう1人の注目は狩野川のT選手。
前年、地元の狩野川で執念の逆転を見せたデフィングチャンピオンである。

ただ、T選手は準決勝で足を痛めていた。
足を引きずって河原に降りる様子をみて、精神的な崩れが心配された。

中盤に入った。
私はO選手が順調に釣果を重ねるのを確認して、彼の後ろを離れる。
上位入賞が見えていた。

気になるのはT選手。彼は大橋の直下にいた。
中間報告が出た。T選手、O選手が同匹数であった。

石裏を一つ、ひとつ、丁寧に攻めていく。いつもの彼の攻めであるが、

足首の痛みのせいか、なんとなく精彩を欠いていた。

と、T選手が掛けた。抜きにかかるが様子がおかしい。
根掛かりしたようだ。取れない。

昨年の彼なら躊躇せずに体を水に沈めていた。
竿をあおる。切れた。マイナス2である。痛い。

O選手2匹追加の報告が入る。タイムアップまであと20分。
が、ここからの追い上げはさすがであった。

下唇を血の滲むほどに噛み、川の水を掬って口に含む。
前年と同様の執念をみせて2匹かける。で、同匹数。

ホイッスルが鳴るまでにどちらが1匹を掛けるか....... で栄冠が決まる。

終了のホイッスルが鳴った。本部に戻って検量、やはり、
T選手、O両選手の同匹数。プレイオフが決定した。

意外にもO選手が辞退した。もう、精魂尽き果てたという。座り込んで肩で息をする。

それを受けてT選手も、足の痛みを理由に辞退した。
プレイオフを受けるといえば不戦勝であったのに。で、結果は重量で判断。

わずかな差でO選手の頭上に栄冠が輝いた。新しいヒーローの誕生であった。

その時、へたり込んでいたO選手も、
その後は4連覇を飾り、S社のフィールドテスターとなった。

●激流を制するのは

ここは五島列島。
凄まじい潮流の中に佇む岩島に50人ばかりがひしめき、
これから始まる試合を見守っていた。

マスターズグレの決勝戦は3連覇中のY選手、
対するは地区予選から勝ち上がった激戦区九州のS選手。

潮は上げ3分ほど。ただし、干満差は非常に大きい。

2時間の試合中に潮の変化が予想され、
マン・ツウ・マン勝負だけに前半のポイント取りが栄冠を決めるように思われた。

磯の中央にテープが張られた。私の目で見ても、左の本流側が本命である。

右は小さな離れとの間にほんの少しの払い出しがあるだけ。

場所決めのジャンケンは、ベテランY選手の勝ち。

優先権を取ったY選手、意外にもチョロチョロと沖に向かって。
払い出す右側を前半のポイントに選んだ。

なぜ、その時点では誰にも狙いは分からなかった。

が、磯のてっぺんに並んだ私たちに、
彼の意図が伝わるのにそれほどの時間は要らなかった。

干満差2mはあっという間にチョロチョロの払い出しを成長させたのだ。

それに対して本命場所と見られた本流側は、
コマセには真っ黒になってグレが浮くものの釣れる型が細かい。

規定の25cmを超えるのは3匹釣って1匹だった。

Y選手の取ったチョロチョロはますます成長し、
沖の本流までハッキリした潮道を造っていた。

ポツリポツリながらも、釣れる型は30cm を超えていた。
やがて前半が終わり、場所のチェンジ。

この時点で勝負は互角。
無名のS選手に、なかなかやるじゃないか、の評価が出始めていた。

Y選手の本当の凄さを知ったのは、
ポイントチエンジを終え、後半戦が始まってすぐだった。

チョロチョロの払い出しは滔々と流れるまでに成長し、
もはや手の着けようがなかったのである。

攻めあぐんだS選手は、遙か遠投で沖の合流点を攻めるが時すでに遅し.......

本流に跳ね返されたウキは揉まれて、思う筋をたどってはいないようだ。

S選手のいらだちがギャラリーにまで伝わってきた。

それに対して、本流側は相変わらず3匹に1匹くらいしか、キープサイズはなかった。
ベテランY選手をしてもである。
が、珈琲
こまできてギャラリー達は、やっとY選手の取った作戦が分かったのである。

前半も後半も自分は釣れる条件の中にある。

しかし、対戦相手は後半の釣り場を失った。結果はダブルスコア。
Y選手の連覇が決定した。

私はインタビューをした。

あのポイント選択は、読んでいたのか、それともここのポイントを熟知していたのか。
その答は「すべて直感でした」と。

見た瞬間に1時間後の状況が目に浮かんだそうだ。

地区予選から決勝までを戦った無名の若者は、
その言葉に耳を傾けながらも、全力を尽くしたあとの爽快感を漂わせていた。

●ヘチの魔術師誕生

G杯グレの八丈島大会。実は私も選手として出場していた。

まだ、他メーカーのトーナメントは誕生してはいず、
全国の磯釣りマンが勢揃いしていたのである。

いま思えば錚々たるメンバーであった。

駆け出しの私は1回戦で敗退していたが、
有名選手の顔をそばで見られるだけで満足していた。

決勝戦に残ったのは、中部のU選手、四国のM選手、同じく四国のN選手。
しかし、状況はあまりよくなかった。

本流には小型ツムブリが群れ、ヘチにはイスズミが群れていた。
その中から。グレをどう引き出すのか。

攻めは好対照を見せた。

本流の沖攻めで尾長グレの一発大物に賭けるM選手、
N選手の四国勢、ヘチにこだわってイスズミを釣り続けるU選手。

ギャラリーもまた錚々たる顔ぶれである。
潔く本流に賭ける両選手には惜しみない拍手が送られていた。

それに対して、ヘチでイスズミを釣っているU選手の評価はよくなかった。

イスズミは外道として0・5点のカウントがされていたからだ。

外道で点数を重ねているかに見えるU選手が勝負にこだわる、と見たのである。

トーナメントが始まったばかりの当時はそいう風潮が支配していたのだ。

が、駆け出しの私はそうは思わなかった。
トーナメントである以上、勝つことが最大の目的だからだ。

結局、決勝戦はそのままに終わった。本命のグレはなし。
イスズミを釣り続けたU選手の優勝。私は心からの拍手を送った。

M選手もN選手も敗退して何もいわなかった。

全力を尽くして、グレ引き出せなかった、
力不足です......... というようなコメントを聞いたような記憶もある。

が、この結果は論議を呼んだのである。

潔しとする意見も多かったが、勝たねばなんにもならない、という意見も多かった。

この大会を境に意識が変わったように思う。
トーナメントは懇親会ではない、という意見が台頭してきたのである。

と、同時にUさんは「ヘチの魔術師」の異名を持つようになった。

■付記

多くの名勝負を見てきた。超一流の技には驚くばかりだが、
それだけではないことも感じている。

五体で感じ取っているのだ。研ぎ澄ましたハンターの感覚を彼らはもっていた。

暗黙知の世界である。それはひらめき…と解説された。