■ソーフ岩への憧れ

私は、こと遠征釣行に関して運のない男である。

かなり入れ込んでの遠征で憧れの地を目前にして、
Uターンした事が2度ならず、3度もある。

もしも、そこに足を下ろし、竿をだしていたら、わが生涯の釣り史に,
残るに違いない…のだが、
なぜか海神のお気に召さず挫折を味わっている。

わが釣友のFと交わした言葉があった。
年をとって磯竿をしまう時には、2人でそれなりの遠征をしよう。

それを最後の花道としょうじゃないか。40代初めの話であった。

私はソーフ岩に行きたいといった。
八丈島から20時間、あと8時間で小笠原列島という位置にある。

南海のまっただ中、周囲80m、高さ108mの岩が、まるで墓石のように佇立する。

渡礁出来るのはわずか1ケ所、水深は600mとも800mともいわれる。

昭和50年代初めに渡船に聞いたところ、50万円でOKが出た。

Fは根っからの石鯛師であるから、ベヨネーズ群礁を主張した。

ベヨネーズ列岩ともいい、ソーフ岩の手前ではあるが、
八丈島から140km、高速渡船で8時間かかるという。

太平洋のド真ん中でシケたら逃げ場はない。
よほど安定した天気と海況の時でないとアタックはできない。

もちろん、八丈島での待機も覚悟である。で、このベヨネーズ列岩、
手前のスミス島と併せてクチジロの宝庫なのだ。

7kg、8kg、10kg超の大型がナンボでもいるとの話である。

●銭洲までいって

私が磯釣りの駆け出しの頃、先輩たちが銭洲遠征を企画した。

いまでこそ、大型高速釣船での沖釣りで有名となったが、
当時は磯釣りでアタックする程度だった。

神津島の南西43kmに位置し、ここに初めて釣り人が足を下ろしたのが昭和36年。

私が駆け出しの頃は、それより10年あとの事。
で、先輩に、「私も連れっていってください」と名乗り出た。

即座に戻ってきた言葉が「10年早いっ」。
もっと修業して、安全行動がとれるようになってからだというのだ。

その頃は厳然として、格というものが生きていた。

もっとも、その先輩たちは日本の磯釣りというものを、切り拓いた人たちである。

原野を歩き、鳥だけが通った岩礁に初めて取り付いた人達だ。
「はいっ」と引き下がるしかない。

が、機会は意外に早く巡ってきた。
銭洲は神津島の管轄にある。

その神津島の渡船が急に大型化し、銭洲釣行をアピールし始めたのだ。
それは憧れの秘境が、ただの釣り場となることだったが、
私にとってはいい機会だった。

それに先駆けて、銭洲渡礁に成功した仲間達から、1人で石物13枚。

ロープに通しておいたら鮫が岩に乗り上げてきて、
半分食われたなどという話が伝わってきた。

考えただけでも武者震いが止まらなかった。

さて、いよいよ釣行の当日。下田まで迎えにきた神津島の渡船に乗り込む。

神津島港に一旦入って、恩馳群礁の横を通ると後は見渡す限りの大海原。
やがてポツンと岩影が見えてきた。

これが銭洲なのか…と感激したのもつかの間、船長の顔がけわしい。

ネーブルスに大きな波が被って、真っ白。
そのまま、船はUターン。とって返して、恩馳でお茶を濁した。

●イナンバまでいって

次は、イナンバ。伊豆諸島、御蔵島の南西約15kmの海上に、標高75mの岩礁がポツンと佇む。

昭和38年、米軍機の射撃訓練の的になっていたのが解除され、先輩達が初渡礁に成功した。

そのあと、当時のソ連の漁船が、サバ漁に頻繁に現れた。

慌てて海上保安庁がイナンバに取り付き、岩の頂上に日の丸を立ててきた。

さて、このイナンバは三宅島からの渡船になる。

ということは、東京竹芝桟橋から汽船に乗り、一旦は三宅に渡ってからのアタック。

新幹線の中でイシダイ竿を抱え、東京駅からタクシーで竹芝へ。
島で一夜あかして、まだ暗いうちに出船した。

この時は三宅島を離れると灘が悪かった。
前日の波がまだ残っていたのだ。ただ、船長にはカンがあった。

この状況ならば波は落ちる。

が、イナンバに近づくにつれ、
舳先がバタバタと波で叩かれるようになり、遙か彼方に波しぶきか、霞か...

イナンバらしき島影を見てUターン。

途中で本島から8kmの大野島群礁に寄ってみたが、
波と速い潮で近づくこともままならなかった。

●青ヶ島の第2陣は

青ヶ島は八丈島の南73kmにある絶海の孤島。薩南諸島のガジャ島に匹敵する不便さだ。

で、八丈本島から5日に一度、連絡船・青ヶ島丸が就航する。
名古屋から飛行機で八丈へ飛ぶ。

この遠征計画が持ち上がったとき、参加希望者が多かった。
現地の宿泊ができおうせず、クジを引いて2回に分けたのである。

私は第2陣になった。

第1陣が帰ってきた。釣果なし…であった。
が、他のグループはメチャ釣れだったという。
その違いは遠投力にあった。
少なくとも70m以上投げなければ、深場に届かない…のだと。

渡船のない青ヶ島では、急な斜面を降りて海岸線に出る。
で、ゴロゴロと岩が転がり、その先のポイントまでが70m。

大島の遠投ポイントを得意とするグループが、
ビュンビュン、飛ばして3kg程度と大きくはないが、
シガキダイをごっそりと釣り、シーツに魚拓を取ったというのだ。

さあ、遠投得意の私は奮い立った。
ABU10000Cにグリースをたっぷりくれ、準備万端整えた。

が、台風が発生していた。

名古屋空港は欠航、羽田も欠航。
汽船で八丈島に渡ったものの、青ヶ島丸の就航はなし。

第2陣は青ヶ島にもたどりつけなかった。
港の大突堤でツムブリ釣って終わりであった。

●アジに泣いた五島列島

唯一、行って竿をだしたのが、五島列島。

が、男女群島の予定がシケで渡船が出ず、急遽、手配しての五島列島であ
名古屋空港から福岡に飛んだ。

時代は便利になっていて、道具はすべて宅急便。
バック一つ抱えて飛行機に乗る。
追い風で1時間、
飛行機は散らばった島の上から市街地のビルをかすめ福岡空港に降り立った。

ここから福江に飛ぶ。
五島列島は日本最西端の島、五島どころか220あまりの島が並ぶ。

11月の末、初めての九州、福江に着いて震ってしまった、寒いのだ。

単純に九州は暖かいという先入観念である。
着替えからなにから、持って行った衣類をすべて着込み、磯に立った。

何という磯だったのか、知らない。大きな岩島だった。
朝になったが、渡船が出ない。7時と遅がけに港をでる。

その理由が分かったのは、2時間後、
波一つない海峡はざわざわと押し寄せる潮で凄まじい速さの流れとなった。

ウキを付けて、磯竿でグレを釣っている漁船がいたが、
エンジン全開で、まったく進んでこないのだ。

で、やっとポイントの取り方が分かった。潮裏の島の影の緩い所を釣るのだ。

ひとしきり、コマセを打つと黒いものが海中を走ってきて、
やがて海を埋め尽くした。初めてみるアジの大群。

一日中、苦戦して五島の釣りは終わった。

■付記

ソーフ岩への憧れを捨てた訳ではない。
いまでは小笠原丸のデッキからでもいい、と思っている。

ドリンク剤のCMに登場したから、記憶にある方もいるかもしれない。

太平洋の真ん中に108m、墓標のように佇立する雄姿を一目見たい。