■目には青葉山ほととぎす初鰹

5月は『目には青葉 山ほととぎす はつ鰹』の季節である。

2000年の遠州灘は2月からカツオが獲れ始め、値崩れしたような状況だった。

あの時は大きく迂回していた黒潮が急に縮小傾向を見せた。

が、これはフェイントで、すぐまた大迂回。この間に遠州灘へ暖水塊が残った。

そのなかにカツオの群れが、置いてけぼり…だったらしい。

2001年はといえば、黒潮は遙か沖合に迂回したまま、
7月の声を聞いてやっと分枝流が入って釣れたというありさま。
黒潮の流れには一喜一憂するのである。

遠州灘が好漁になると、舞阪港や福田港に世間船がはいる。

江戸っ子は、女房を質に入れても初カツオを食った…とか。

「おう、カツオ、食ったか」といわれれば、まだとはいえないのが江戸っ子気質。

この時代、カツオ1本がいくらしたのか、
貨幣価値を現代に換算するとカツオ1本がなんと20万円。

これは女房を質に入れても食えないねぇ。

●初がつくのも七十五日

江戸時代は、相模湾で獲れたカツオを竹芝の河岸へ、
櫓が百足の足のように出た船で運んだ。

これが『初鰹むかでのような船に乗り』という川柳で残っている。

この押送船が河岸へ入ると大変な賑わいである。

その夜は吉原に千両箱三つ分の小判が散ったという。

どこまでを、初鰹というか。人の話も七十五日、
珍しいものも七十五日経つと値打ちがなくなるようである。

女房を質…の話ではないが、
江戸時代の庶民がカツオを食えたかというと、実際には無理。

ご祝儀相場は金二両、小判をかじるような…という川柳もある。

江戸の初鰹に対して上方は桜鯛、
春のマダイには五両だしても惜しくない…といったらしい。

●土佐造り葉庶民の知恵

春浅い頃、九州沖や四国沖に姿を現して黒潮に乗って北上、
三陸沖まで行って引き返す。

いわゆる上り鰹、戻り鰹である。脂の乗りは戻りのほうがいいのだ。

初鰹を江戸っ子が珍重したのは、
珍しもの好きとあっさりとした上り鰹の味にあったというが…さて。

生のカツオを藁で燻すのが土佐造り。
その昔、土佐藩で食中毒が頻発し、生食を藩が禁止した。

で、火力の強い藁で側だけを焼き、お触れをかいくぐったのが始まりとか。
これも庶民の知恵である。

カツオが血合いが多い。
私はこれが好きだから、アラ煮が大好き。
骨の間に潜り込んだ血合いを箸でほじって食べる。

この血合いはカジキに匹敵する海のランナーの証しで、赤身は筋肉。

土佐は黒潮に洗われ、カツオ漁の盛んな土地柄。
土佐藩主、山内容堂公が江戸屋敷でカツオを所望した。

が、台所方から3日分の賄料が必要といわれ、お国返りまで我慢したという。

鰹節もやはり土佐が起源だとか。カツオは豊漁で鮮魚だけでは処理できない。

そこで燻して干す製法が考案されたのが始まり。

それまでも骨付きの荒節はあったらしいが、
現在の鰹節は土佐与一が考案したとモノの本にある。

私達の幼い頃は、夕方になるとみょく削らされたものだ。
削れなくなった欠片をしゃぶるのが特典。

口の中で転がしていると軟らかくなる。で、ガリガリと歯で砕く。
顎も歯も丈夫になったものだ。

いまは真空パックで、ヒキダシの付いた鰹節削りの台所から姿を消して久しい。

江戸川柳では、下女が削ると乱暴で鼻息で飛び散る。
時間をかけて丁寧に削るのは玄関番…という事になっていた。

庶民がこれでダシを取るようになったのは、ずーと後の事である。

静岡県内では田子節が有名。
西伊豆は田子湊だ。土佐や紀伊との黒潮つながりが起源らしい。

●黒潮つながりの話

四国沖から紀伊、熊野、そして伊豆半島、伊豆諸島は黒潮で繋がっている。

陸上の交流がない昔から、海上でのつながりはあったのだ。
難破して漂流すれば伊豆に流れ着く。

伊豆半島や伊豆諸島に熊野権現の社のあるのが、その証し。
近年では熊野や紀伊から嫁を取る漁家が多かった。

つまり、海女さんの技術輸入である。
伊豆には、婆ちゃんの在所は熊野や鳥羽…という船頭が結構多い。

6月になると、鮎釣りが解禁される。

友釣りの発祥の地は狩野川とされるが、
松崎の那賀川等に残る鮎の疑似餌釣りは、どうやら黒潮ルートに乗って運ばれたらしい。

いまでも上りカツオを狙って、紀伊や土佐の船が黒潮を伝わって北上してくる。

で、沿岸の港に水揚げする。舞阪港あたりでは、こうした船を世間船と呼ぶ。
福田港や御前崎港に停泊しているのを見かける。

旅の船を受け入れ、技術や道具の知識を得る…昔から行われていたようだ。

近海カツオが獲れ始めると、漁港の直売所で1本が2000円くらい。

小さいもので1000円前後、まあ、女房を質にいれなくても食える値ではある。

新鮮なものを三枚に下ろすと、身の切り口が玉虫色に光る。
口に入れるとモチッ、これを称してモチガツオ。

産地ならではのアジである。素人が釣って処理を誤ると、
身がゴリゴリ。こっちはゴジガツオ。

■付記

カツオに対するこだわりは、遠州人もかなりのもの。

そもそも、江戸っ子のルーツは家康が江戸を造るために、
連れて行った三河、遠州の職人だとの説もある。

宵越しのカネは持たねえ… などという痩せ我慢はよく似てるねえ。